スーパーファミコン版の魍魎戦記MADARA2を遊んでみようじゃないか

 90年代に一つの成功を収めた角川メディアミックス戦略の欠片。前作に比べ、良くも悪くもエッジの取れた作品に仕上がっている今作。発売から30年近く経った今、改めて遊んでみます。

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魍魎戦記MADARA2との想い出

 魍魎戦記MADARAという作品には、個人的に深い思い入れがある。その辺は以前、ファミコン版MADARAの記事に書いたので割愛。今回はスーパーファミコン版MADARA2のお話し。

 発売当時はまだ実家で高校生だった。当時、田舎では高校生のアルバイトに厳しく、家庭の事情が必須でした。事前申請なしでバイトしたことがバレたら、生徒指導室に呼び出されて丸坊主が確定。ある意味バイオレンスで荒廃した世界だった。

 収入源はお小遣いとお年玉くらいなもので、ゲームソフトも漫画もCDもビデオも推考に推考を重ね、厳選したものを慎重に購入していたのです。当時はインターネットなどない。数少ない情報をかき集め、時にはトランペットに憧れる少年のようにショーウィンドウに貼り付いたりしながら、計画的にお小遣いを貯めていた。

 時期的には、ちょうどラジオでMADARA転生編のラジオドラマを放送していた頃だったか。番組内のCMで、特番で取り上げられる、音声だけのMADARA2に対して、それは大層期待を募らせたものです。

30年後の世界でMADARA2を遊ぶ

 そう、あれから30年経ちました。あの頃高校生だった自分も、もう立派なおじさんです。さすがに全く覚えていません。

 さて、遊んでみましょう。

 電源を入れます。コナミのロゴ。そしてオープニングデモ開始。

 そうそう。これこれ。これですよ。この田島テイスト満載のオープンニングデモ。

 前作のオープニングも良かったが、今作は完全にオリジナル。否応なしに期待感をそそります。早く遊びたいぜ。この年齢になって、まだゲームを積極的に遊びたいと思う感覚が残っていたとは。自分で自分に驚きです。

 ゲームスタート。名前を入れます。面倒なのでデフォルトの名前でゴー!

 オープニングデモ開始!

 ……って、いやいや、オープニングデモもう一回見せるんかい。見ましたけどね、2回目のオープニングデモ。まあ何度見ても良いものは良い。

遊び始めに感じた印象

 気を取り直してゲームを進める。いかにもなスーパーファミコン的質感のグラフィックは、おじさんの気分を高揚させるには十分だ。この16ビットくらいのゲームが最もゲームを遊んだ感で満たされるのは、昭和のアーケードゲームに50円玉を投入した世代だからだろうか。

 ふと感じた違和感。最初のザコ戦だ。レトロフリークを使用しているからだろう。魍鬼を倒したときの消滅パターンが少し不自然だ。さすがにもう30年近く経つ。実機はもう持っていないので確認のしようがない。思い出そうにも、オープニングデモをループさせてしまうくらい記憶にないのに、こんな細かい部分なんてとても覚えていない。

 そういえばレトロフリークの設定が通常のままでは、オープニングからすでにおかしな表示だった。色々設定をいじって調整したものの、やはり実機とは映り方が違うのだろう。レトロフリークが便利だとはいえ、この辺はあくまでもエミュレーターなんだという寂しさを、少し覚えました。まあ遊び始めたら気にならないレベルですけどね。

操作感はどうか

 ゲームのテンポは良いです。バトルスピードをマックスにしておくと、ザコ戦なんかは一瞬で終わる。この辺は前作とは段違いです。

バトルスピードがMAXなら一瞬で終わる

 今回も手探りで作っている感はあります。目的地までの間に無駄な集落がいくつもあったり。地域間をつなぐ洞窟の作りがほぼ一緒だったり。まあ、集落=イベントという訳ではないあたり、ある意味リアルなんですけどね。こうやって改めて比較すると、ドラクエ3あたりは本当に良くできていたなと思ったりします。

 ゲームバランス自体はそんな悪くない。ゴウリキフありきだった前作みたいな特殊性はないです。昔のゲームにありがちな、困ったらレベル上げとけというバランス感。レベルが1つ上がるとダメージ、被ダメージ共に大きく改善されます。つまり、レベルを上げて叩くのが基本的な戦略。

 ただし、序盤は各地域で1体、出鱈目な強さのやつが混じっています。それだけは注意ですね。何も考えないでウロウロしてると秒でやられます。

ソロ活動してるやつは強い

ストーリー性・シナリオはどうか

 オープニングからしばらくは現代の日本が舞台。転生編のような展開を期待しますが、結局異世界へ飛ばされます。今回も安心の剣と魔法のファンタジーです。

このあとちゃんと異世界へ飛ばされます

 登場キャラクターはMADARA弐までの主要キャラが軒並み登場します。ただし、原作のキャラクター性は引き継がれていませんので、注意が必要です。同じ姿かたちと名前を持った全くの別人と思っていいです。

 特に聖神邪はもう少しいろんな意味で尖っていた方が良かったのだが。なんとなくファーストガンダムのカイ・シデンの声で再生されるのは自分だけだろうか。ステータスもあまり優秀ではなく、人気キャラの割にあまり優遇されていない印象を受ける。これが赤(ラサ)におけるユダヤの容姿と性格で出てきたなら、間違いなくレギュラーで使ったのだが。

人気キャラ聖神邪の扱いが意外と軽い

 それから、今作のマダラはある国の王族として出てくるというのもまた、首を捻ってしまうポイント。今回のマダラも“あの”マダラではなかったんだなと、気持ち悪いコメントを書きこんでしまう程度には違和感が残るのです。

 そしてさらに、あ、もういいですか。

 最後に一つだけ。ミロク帝7つの化身のひとつ=ダキニ天帝だという説明があった。他の6つの化身は何なのか。その方向性で広がりを持たせるのかと思っていたが、ダキニ天帝以外は特に触れられることなく終わってしまった。プレイ中は流してしまう、というかそのくだり自体すっかり忘れていたのだが、こうやって文字に残してみると今更ながらものすごく気になる。他の6つの化身は何だったのだろう。

伏線かと思ったが他6つの化身は出てきません

クリアまでにかかった時間

 思ったより長い。全体のボリューム感的にはそんなないはずだが、レベル上げや資金集めに時間がかかった印象。

 何しろ売っているものが基本的に高い。その上、エンカウントで出てくる魍鬼の落とすゼニー(金)が少ない。人の形に近い魍鬼ほど持っているゼニーが多いのは、何となくリアルだ。

 という感じで、序盤の資金繰りに時間がかかった印象が強い。最強武器は店で買えるものが大半なので、終盤は金稼ぎをする必要がなくなりサクサク進みます。とはいえ、物語が進むともう行けない地域にしか売っていない武器もあるので、自然と金が貯まる後半に買えばいいかといえば、そうでもないのが悩みどころです。

印象に残った場面

 邪兎(ジャト)でしょう。初代コミックス壱以上の大活躍。

邪兎を中心に話が進んでいきます

 基本的にこのゲーム、連載中だったMADARA弐には寄せているのだが、邪兎は安心の壱バージョンでウサギの容姿です。弐の姿(忍びの邪兎=目つきの悪いハゲ)でなくて良かった

MADARA壱の邪兎
MADARA弐の邪兎(右)

 本当に良かった。

 ちなみに忍びの邪兎(MADARA弐)はガチガチの武闘派です。

 本当に良かった。

ここが楽しい

 ちゃんと掌妙剄が強いのは、原作厨として嬉しい。前作ではおまけみたいなダメージ量だったので、ほとんど使う場面がなかった。ただし掌妙剄が強いのは、低レベル攻略している時くらいだろう。結局レベルを上げて殴ったほうが、トータル的には早いんだよなあ。

 極論を言ってしまえば、この手のゲームに求めるのって原作再現ツールという側面が強い。知っているキャラが動く。操作できる。それだけでファンは楽しいのだ。

 それから、音楽が恐ろしく良い。今更サントラが欲しくなったが、プレミア価格なんだよなあ。この辺、何とかならんものか。

ここが難しい

 割と序盤でフリーシナリオ的な状況になるが、シナリオの流れに沿って行くべきエリア以外を選ぶと、敵が強くて大分苦戦する。

 そして引き返すことが出来ない。イベントが起こりそうなところは後回し、みたいなプレイスタイルの人はまんまと引っかかるでしょう。自分がそうです。おかげでちょっと前のセーブデータからやり直しました。くそう。

 それでも頑張って港まで辿り着ければ他のエリアへ行けるので、結果的には失敗してもそこでリカバリー出来る。とはいえ、出てくる魍鬼の強さがエリア毎に全然違うので、結局攻略順は自然と決まってくる。そこはフリーシナリオ的にせず一本道でも良かった気がするのだが、どうか。

 ロマサガみたいにエンカウントする敵の強さ=進行度であればこそ、フリーシナリオが成立するんだなと、ロマサガの凄さを改めて感じたものです。

見どころ(ここは見とけ)

 ここはやはり、田島テイスト満載なオープニングに尽きるが、そこは一旦除外しよう。

 プレイ画面上におけるキャラクターグラフィックは、どちらかといえば前作の方が原作再現度が高い。

 確かMADARA弐(BASARA)が連載されていた頃だったからか、その設定が色濃く反映されているという印象が強い。耶倭土関連のストーリーは原作にある程度沿った展開となっているが、それ以外は完全にオリジナルだ。

連載中のMADARA弐に絡むストーリーは割と忠実

 同じ影王の霊性を持つカゲオウとバサラが同時に存在するなど、原作を追ってゲームを遊ぶと色々設定の誤差が生じる。その辺はまあ、KOF98 みたいなお祭りゲーのポジションだと思えば気にならなくなるか。

 オチを知っている現在だからこそ否定的な意見にもなろうが、当時の情報量で作られたゲームとすれば、まあこんなもんだろう。

パン〇ラキック

 当時放送されていたラジオドラマ、転生編内でも特番が組まれていたのを覚えている。番組内の実況で声優達が「見えた見えた」と盛り上がっていたのが印象的だ。

 ところがどうだ。自分は見えた記憶がない。今回の再プレイでも全く見えた記憶がない。そもそも本当に見えるのだろうか。見間違いではないのか。

 動体視力がどうとか言う前に、このゲームには戦闘速度の設定があることを思い出した。

 戦闘速度を落としてみる。なるほど見えている。

 この1ドットの白に盛り上がる感じはどこかで記憶にある。そうだ、思いだした。かの有名なアタックアニマル学園だ。そうか。

バトルスピードを落とすとこの一コマ前で確かに見えるが、見えたからどうというものでもない

総評

 摩陀羅という物語において、本来クライマックスになるべき現代編(転生編)は綺麗にエンディングを迎えられなかった。

 確かに、現代で派手に立ち回るには、2以降の女神転生のように崩壊した世界の方がしっくりくる。現代日本で刀を振り回したり、派手な魔法や掌妙剄で攻撃したりするのは、違和感以外ない。そういった点では、原作の転生編が我々の考えていた MADARA の続編として上手く機能しなかったのも合点が行く。

とはいえ、このオールスター感は捨てがたい

 現代から異世界へ。結局は剣と魔法の世界へと舞台が移る。まあ自然な展開だ。

 いつまで経っても転生してこない摩陀羅を追い続けた世代からすると、本作の主人公神代斑も結局あの摩陀羅ではなかったが、彼は MADARA の世界観において田島絵が動き出したかのようなキャラクターであり、正直嫌いではない。

 結局綺麗なエンディングを迎えられなかった原作(僕は天使の羽根を踏まない)ではなく、このゲームを原作としたコミックス、四神編がオチとして最適だとする論調も、まあ嫌いではないし、気持ちの上で分からなくもない。

特徴的な武器の設定

 世界観といえば、今作で特徴的なのは武器の設定。

 各キャラに各武器の相性が設定されていて、最強装備は基本的に店で買えます。時間をかけて金を稼げば、特定のキャラの最強装備は割と序盤から手に入ります。

 洞窟の奥深くで放置されていた宝箱から拾ったはずなのに、何故か全く切れ味が損なわれていない有難くも不思議な骨董品が最強の剣ではなく、お店で売っている最新の武器が最強装備というのも、ある意味リアルだ。

 ただ気になるのは、一般的な RPG に寄せて作られているので、各キャラの最強の武器が斧だったり槌だったりすることか。原作 MADARA の世界感的には、武器は剣、もしくはバトルギミックという印象がある。変わった武器では伐叉羅の持っていた刃が飛び出る短剣みたいなやつくらいか。

 なお、今作における伐叉羅の最強装備は斧です。

 原作を知らなければ何とも思わない要素ではあるが、気になるものは気になる。だって、聖神邪の最強の武器が槌ですぜ。カテゴリーとしては鈍器。棍棒とかハンマーとかの属性です。それはむしろ聖神邪のターゲット貂魎伐跨の武器じゃないか。

棍棒といえば貂魎伐跨(右)

 ところで、クサナギはどうした。MADARA といえば聖剣クサナギ。最強の武器がクサナギでなくてどうする。

 そう思いながら進めていたら、出てきた。

 出てきたけどアイテム扱いでした。武器ではない。

 しかも、ラスボスにしか効かない上、使わなくても倒せる。

 というわけで、霊妙剣は存在しません。常に駆け寄って叩くという攻撃スタイルで、最後まで押し通します。よくよく考えてみればまあ、前作もノソノソ歩いて行って叩くという攻撃スタイルだったので、その辺変わりなかった。

最後に

 待ち望んだはずの転生編とも言えるべき本作をプレイして感じる違和感。それは登場キャラから感じる転生感のなさ。同じ姿かたち、名前を持った別人に感じてしまうのは、いったい何故なのだろうか。

 MADARA青1巻のあとがきを読み返したとき、なるほどと思ったものです。

ぼくはまんがを右から左にゲーム化するのではなく、まんがとゲームという二つのメディアの間を移動可能な物語をこそ作ろうと考えたのです。一つの「世界観」からいくつもの物語を立ち上げるシェアワールドという考え方は既にSFやファンタジーの領域には成立していましたから、ぼくはゲームとコミックの間で「世界」をシェア(共有)できないかと思ったのでした。『MADARA』はコミック作品としてきちんとヒットしていわば「想定」通りゲームやあるいはアニメビデオにもなりましたが、しかしゲーム会社やアニメーターの「意向」(つまり、アニメーターやゲームデザイナーが世界観やキャラクターを自分の好きに改変したいという自己主張のことです)でコミックとは全く「別物」となりました。ぼくはコミックと全く同じストーリーをゲームやアニメにしてくれ、と彼らに言っていたのではなく『MADARA』の世界観やキャラクターを「共有」してゲームやアニメというメディアの中でそれこそオリジナルの物語を立ち上げてくれと言ったのに何故かそれは理解されませんでした。

大塚英志「原作者あとがき」『MADARA青 1』角川書店、2001年5月1日、初版、252-253頁。ISBN 4-04-713409-0。

 あの頃から和暦は一つ変わり、これを書いている今の年号は令和である。

 一般層にクリエイターが多数存在する現在であったなら、もっと原作者が考えるようなメディアミックスが上手く成立したのだろう。当時と比べれば流通も、情報も、クリエイターの技術も、その広さも数も、全てが段違いだ。

 そして読者の多くが望んだ結末を迎えることなく、ひっそりと幕を閉じてしまった。早すぎたオープンワールド。それがMADARAという物語。

 もう一度読み返してみようか。

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>>参考:HDMIでゲームをPCに録画しよう

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