ファミコン版の魍魎戦記MADARAを遊んでみようじゃないか

2021年9月25日

 MADARAである。

 田舎の書店ではなかなか売っていない原作本を取り寄せたり、家に遊びに来た友人が軽い気持ちで読んだらあまりの面白さに一言も発さなくなってしまったりと、思い出はいくらでもある。

 ことファミコン版に関しては、主に原作とは違う展開となる後半の評判がイマイチだったと記憶している。かく言う自分もそういう印象を持った一人だ。

 評価を下げる原因となったのは何か。その辺に注目しながら再プレイしてみます。

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MADARAと私

 数年前のこと。『MADARA 30TH』の文字を見かけた。そうか、学生だったころ貪るようにして読んだMADARAが。もうあれから30年経つのか。時が経つのは早いものだ。

 魍魎戦記MADARAとは、ゲーム誌マル勝ファミコンで連載されていた漫画。および、それを原作としたファミコンソフトである。

 今でも明確に覚えている。腕が飛んでくるTV CMに一撃でやられた。

実際のゲームでは腕が飛んだりしません

※もっと色々な種類のCMがあったなと思って探したら、こちらに色々まとめてありました

 そう、この時点では原作を知らなかったのです。

 当時はインターネットなどなかった。自分よりコアなゲームファンの友人に聞きまくり、ようやく糸口を掴んだ。マル勝で連載していること。コミックスが出版されていること。

 彼は興味がなかったようで、所持していたマル勝を数冊くれた。

 貪るようにして読んだ数冊の古いマル勝。たまたま手に入れたコミックスの2巻。全然見つからなかった1巻。今ではいい思い出です。

 30周年ではサイン会に並んだりもしたのですが、それはまた別のお話し。

MADARA30周年で田島先生に書いていただいたサイン。人生初のサイン会で緊張しすぎてしまい、ろくに喋れなかったという

 そう、今回はファミコン版MADARAについてです。

ファミコン版MADARAの印象

 TV CMにノックアウトされている時点で、既に購入は決意していた。ゲーム誌の記事はもとより、当時いくつかあったゲーム番組の情報をTVの前で待ち構えていたものです。

 音楽が凄まじく良い。ゲーム番組を観た感想はその一言に尽きる。

 そして、全画面を使った魍鬼八大将軍の登場シーンの演出。当時のファミコンのゲームでは考えられないド派手な演出に期待はMAXまで上がった。

これがファミコンの画面だというのだから、今でも驚きを隠せない

 ゲーム番組で動くMADARAを観た友人たちも、徐々に興味を持ち始めた。興味ないとマル勝をくれた友人とも、興奮気味に語り合ったものです。そのくらいインパクトのあるコンテンツでした。

 それから30年くらい経つのか。遊び直した今の印象は、どうでしょう。

操作感について

 正直あまり良くないです。

 Bボタンで会話、調べる等。他との差別化を意識したのか直感的に操作することが出来ない。まあ、その辺はすぐ慣れる部分ではありますが。

 特に戦闘がリアルタイムな上、移動が基本的にオートなので、効率の悪い移動経路を取られてしまう時がままあります。

どの敵を狙うのかは選べないという驚きの仕様

 全体的に重いとか遅いとか感じることはないので、冒頭で操作感良くないと書いたものの、あくまでも平均水準は超えていますのでストレスを感じるレベルではありません。

 このゲームにおいて問題なのは、操作感ではなく、テンポです。

テンポについて

 これははっきり言います。テンポ、悪いです。

 何故かといえば、理由は一つ。エンカウントが異常に多い。酷い時は5~6歩くらい歩いただけでエンカウントする。

数歩でエンカウントするので主にダンジョン内で道に迷った際なんかは苦行

 そこに重ねて、バトルのテンポも良くない。

 オートであるものの見下ろし型のフィールドバトルなので、敵の位置までテクテクと歩いていく時間がかかる。歩かなくても攻撃出来る弓矢はダメージが下方修正される。コマンドを選ぶとその時間分バトルが止まる。そしてそこまでして選んだ攻撃魔法が、正直大した威力ではない。

 そんな感じで1回の戦闘にそこそこの時間が取られる。そこへきて高エンカウントである。テンポは悪いと言い切ってもいいだろう。

 話の展開自体は昔のファミコンソフトにありがちな、そこに行けばボスがいる的なあっさりしたフラグ立てしかないので、サクサク進みます。要するに遊んでいる時間の大半がバトルに使っているということです。

 そのバトルが戦略性を要するものでもないので、足枷に感じてしまうのも仕方ない。これがグランディアくらいバトルが面白いものであればまた、別の楽しみ方が印象付いたと思うのですが。時代が早かったかな。

ストーリー性・シナリオについて

 連載中盤でゲーム化されたため、オリジナルのコミックスとは展開が異なる。主に終盤になると原作とかけ離れたストーリー展開になるため、原作を読破してからだと終始クエスチョンマークが出たままエンディングを迎えることになる。

 当時はファミコンの性能を大きく超えたグラフィックと音楽、そして動く、いや動かせるMADARAに興奮していたのでそこまで気にならなかった。ラスボスがオリジナルだったな、程度の印象である。

繰り返しますが、これがファミコンのグラフィックだとは到底思えない

 この年齢になって、冷静な目で遊び直してみる。原作後半をオリジナルにしたのではない。物語全体がMADARAをベースにしたオリジナルなのだ。

 魍鬼八大将軍の扱いが突然現れた強い敵程度で薄いことも。唐突に現れたオリジナルのラスボスも。きちんと遊び直してみれば分かる。そもそも原作の設定全てが採用されているわけではなかった。

 炎の回廊くらいまではほぼ原作通りに進む。この『ほぼ原作通り』がポイントであり、よく見ると結構なアレンジ具合なのだ。村を襲うわけでもなく、ただ城に居座っていただけの禍耳幽羅(カジューラ)。空ではなく何故か地下道に潜んでいる闇界睨魔(オンカイギョーマ)など。実は冒頭からゲームオリジナルの展開で進んでいる。

 物語の3/4くらいは原作とオリジナルのミクスチャーでストーリーが進む。序盤は原作にほど近く、後半に近づくほど原作のイベントが前後したり混ぜ合わさったりする。それでも原作のテイストが多少なりとも盛り込まれているため、あたかも原作に沿ったストーリー展開であるかのように錯覚してしまう。しかし、ちゃんとファミコン版独自のストーリーは並走しているのだ。

 そう、原作とファミコン版MADARAのストーリーは大きく異なる。ファミコン版MADARAは壮大な転生物語ではなく、地球の文明を滅ぼした妖星からの使者との戦いの物語なのである。

 このストーリーの発端が分かるのは、序盤炎の回廊手前にある。ファミコン版のオリキャラ那由他(ナユタ)に関わるサブストーリー。特に序盤の方は原作により近い展開であるが故、単なるお使いイベントとして捉えてしまいがちであり、記憶に残らない。

序盤のサブイベントでサラリと告げられる情報が、まさか最後の展開にまでつながっていようとは

 主に原作の展開が完全に切れた時点で発生する八大将軍封印に関する情報収集イベントからは、終始オリジナル展開になる。そのため、そこからオリジナル展開へ突入したものだと錯覚してしまう。そうではない。記憶に残っていないだけで、ゲーム序盤からきちんと伏線は張られていたのだ。

 ゲームとは記号である。ファミコン時代くらいまでのゲームに関しては、現在の実写に近しいレベルの映像再現度は持ち得ていない。その記号を各自の想像力で補填するのがファミコン時代のゲームの楽しみ方。この違いは6までのファイナルファンタジーと、7以降(厳密には8以降)のファイナルファンタジーの操作キャラのデフォルメ具合を見れば一目瞭然だ。

 原作は未だ綺麗に完結していないくらい複雑な設定があるものの、この時代の主なファミコンのユーザーは子供。今のゲームと比較してターゲット層の設定年齢は低い。子供向けのマイルドなアレンジが施されている。その一味足りないストーリーの隙間を、多くのユーザーは原作の情報で補填してしまうのだ。

 ファミコン時代のユーザーはゲームのシンボルを補填することに慣れている。その上、序盤は特に原作のストーリーにほど近い展開で進んでいる。故に、そこへ至るまでの記憶をも原作の情報で補填してしまう。その結果、原作通りに進んでいたはずが、最後だけ超展開であったという記憶として残ってしまうのです。

 ゲームのストーリーは原作ほど重厚な物語ではないものの、綺麗にまとまっている。ゲームにおける原作補填がマイナスに働いた不幸な実例と言えるのかもしれない。

印象に残った場面(ここが素晴らしい)

 八大将軍登場の演出は今見ても格好いい。惜しむらくは原作でもまだ活躍していなかった貂魎伐跨(チョウリョウバッコ)以降が、原案のラフイラストベースであることか。美的センスにこだわる妖焔候戊倭主(ヨウエンコウボイス)が全身タイツのウルトラマンみたいであったり、漲緋統凱聨(チョウヒトウガイレン)に至っては何度見ても形状が良くわからない。

影王摩陀羅に関しては何度見ても納得の仕上がり。ゲームの影王摩陀羅と原作の影王は全く別の存在

 八大将軍といえば、登場時のBGM。八大将軍のテーマは2種類あるが、裏コマンドのサントラで聞けるのは片方のみ。聞けない方のテーマが好きだったので、そこは残念なところだ。

 そう、音楽が素晴らしい。この時代のコナミの音楽は本当に素晴らしい。矩形波俱楽部か。今聴いても素晴らしいと思うのは、思い出補正なのだろうか。

 なお、ファミコン版MADARAとスーパーファミコンのMADARA2を合わせたサントラが再発売されていたらしいが、気付いた頃には時すでに遅し。プレミア価格が付いているので断念。欲しかった。

総評

 原作を追ってしまうとなかなかに辛い。

 原作を知っていれば知っているほど、足りない情報を原作で補完してしまうため、本来のファミコン版の主軸となるストーリーが置いてけぼりにされてしまう。大多数の人がそうであったように、自分も例外ではなくラストだけ原作と異なるという記憶だったのだが、ちゃんと伏線を拾いながら遊び直してみるとそうではなかった。

 ファミコン版のストーリー自体はまあ、当時のファミコンソフトにありがちな勧善懲悪の物語であるため、原作を知らずに遊んだら素直に楽しめたのかも知れない。

 原作ファンとして残念なところは、バトルギミックや掌妙剄の設定があまり活きていないところだろうか。初代摩陀羅はどろろインスパイアとしての側面もあるので、バトルギミックの豊富な攻撃パターンを楽しみたかったというのも、正直な感想である。せっかく見下ろし型のバトルフィールドであるので、マダラだけはチート的に差別化を図って欲しいと思ってしまう。その点、PS2で発売されたどろろ(SEGA)は演出も含めて良く出来た作品であったが、それはまた別の話。

 ファミコン版MADARAを遊ぶにあたり、いつも悩むのはパーティーメンバー。中でもオリキャラの那由他(ナユタ)を使うかどうか。ゲーム自体はゴウリキふ前提のゲームバランスとなっているため、ゴウリキふを使えるイニシエのレギュラー入りは必須である。イニシエは白沢(ハクタク)とナユタしかいないが、ナユタはオリキャラである。原作厨である自分はいつも白沢一択だったので、今回はあえてナユタを使ってみた。

 最後まで違和感しかなかった。原作厨は諦めてハクタクを選んどいたほうが落ち着きます。

 繰り返しますがゴウリキふ前提のゲームバランスである。パーティーの選択は自由であるものの、最終的に白沢か那由他+ゴウリキふを使えるファイターの聖神邪(セイシンジャ)になりがちなのが残念なところか。せめてゴウリキふありきでなければ。原作で活躍できなかったあの人とかあの人を入れた夢のパーティーを組んでみたかった。そう思うと、少し残念な気がします。

今回の最終パーティー。せめてセイシンジャとヒミカくらいには冒険してもよかった気がする

 このように原作厨は、何かしらの形で無意識に原作を追ってしまうので、原作と切り離してオリジナルのストーリーを受け入れるのは難しい。しかしながら、原作と違う超展開でオリジナルのラスボスが出てきた残念なゲーム、として記憶に留めてしまうには惜しい作品である。特に音楽はゲーム史に残してもいい名曲揃い。この素晴らしいBGMの記憶もまた、MADARAという大きな作品群の一部として記憶しておきたい。

 原作の方は何年も前に「いい加減もうMADARAから卒業しろよ」というメッセージを暗喩しつつ、ひっそり収束して久しい。本棚を飾る風景の一部と化していた記憶が、MADARA30周年を機に再燃してしまった。恐らく自分が転生してもまだ追っているであろうこの想いもまた、完結しなかったMADARA108の逸話という大風呂敷の一部なのかも知れない。

おまけ

 魎戦記MADARAのファミコン版ストーリー解説を、魍鬼八大将軍戦に沿ってまとめました。

 原作とは異なるオリジナル展開とはどのようなものか。興味はあるけど再プレイはだるい。そんな方におすすめです。

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