【最終回】リメイク版じゃない方のFF7を遊んでみようじゃないか(45)

 FF7リメイク発売からもう1年以上経ってしまいました。それどころかPS5版のインターグレードまで発売済みですので、取り残されてしまった感が半端ない。

 全然関係ないですけど、FF4の発売日には学校の夏季講習をサボって都市部のデパートまで並びに行った。その並んで手に入れた整理券は、躊躇せず友人に譲った。それは何故かと問うならば、当時はスーパーファミコンを持っていなかったから。ではどうして並んだのか。それはそこにFFがあったから。ハードを持っていない人間すら並ばせるキラーコンテンツ。それが当時のファイナルファンタジーの熱狂ぶり。

 だからどうだって話ではないです。

 そうそう。長々と続けてきましたこちらの連載ですが、いい加減終わらせられそうにないので、もう一気にまとめきって終わりにしてしまいます。このままでは他の記事が書けない。

 以降は細切れに記事を書くのではなく、一気に遊び、一気にクリアして、一気に記事を書くというスタイルに変えていこうかと。要するに、量より質を取ってみたらどうかなというやつです。そう簡単に続くかな。

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FF7との想い出

 当時はデジキューブとかいって、コンビニでPSソフトを売り始めた頃の時代。ゲームソフトはROMカセットからディスク媒体に変わったばかり。

 スマホゲームのようなデジタルコンテンツをダウンロードするような時代ではない。現在では Amazon のギフト券などがコンビニで当たり前のように買えますが、当時はこのようなデジタルコンテンツがコンビニに置いてあること自体、画期的な試みであった。

 ゲーム屋ないしおもちゃ屋でしか買えないはずのゲームソフトが、コンビニに置いてある。コンビニもここまでコンビニエンスになったものかと。コンビニはこれからどこへ向かっていくのかと。そう思った記憶がある。

 コンビニでゲームソフトが買えるのはまあ良し悪しで、飲み会後に酔っ払った勢いでゲームソフトを買ってしまい、飲み会の倍以上を散在してしまった記憶というのが何度もある。まあ今となってはいい思い出です。

 なんだか話が逸れてきたな。まあFF7は確か、そのデジキューブで予約して買ったような記憶があります。

 あ、インターナショナルに関しては最近ダウンロード版を買っただけなので、特に思い入れはないです。

作品に関する印象

 FF初の完全3D化。ポリゴンとCGをふんだんに盛り込んだ意欲作。

 FFといえば、ハードの性能を最大に引き出すシリーズとして定評がある。スーパーファミコンが出た当時、ハードのウリである回転拡大縮小機能を無駄に盛り込んだソフトが多い中、FF4はごく自然に使いこなしてみせたのを今でも覚えている。

 本作も同時期に発売されたPSのソフトと比較して、ポリゴンもCGも群を抜いている。映画のようなオープニングからの流れで自然と操作画面へ切り替わる演出などは、今遊び直しても、お見事としか言いようがない。

キャラデザインについて

 それから、ファイナルファンタジーの象徴とも言える天野喜孝のキャラデザインが、野村氏に切り替わったのはこの作品から。当時のゲーム少年たちのバイブル、ファミ通の記事を読みながら感じた違和感が忘れられない。

 確かに、これまでファイナルファンタジー「らしさ」の一翼を担っていたキャラデザインが変わるのは、なかなかに勇気がいる。しかし今なら分かる。当時の技術で天野絵を3Dポリゴンにするのは、明らかに困難だ。英断だろう。

クラウド氏の雄姿

3人パーティー

 パーティーの人数が3人。FF2の基本3人+ゲストのスタイル、FF4の最大5人を除けば、基本的にずっと4人だった。アタッカー2人+回復+魔法使いの組み合わせがオーソドックスであっただけに、やはり3人体制は寂しい。

 逆にこれ以降のFFは3人パーティーが基本となってくるのだが、これは一人のキャラクターが出来ることを増やし、役割の固定を排除するスタイルが基本になっているからだろう。確かに誰でも回復できたら、わざわざ白魔導士を一人用意しておく必要はない。ドラクエ6ですら最後の方はハッサンが武器で攻撃せず延々とびひざげりを放つ時代。アタッカーにできることが攻撃だけというのもまた退屈だ。

 この辺はユ・リ・パ・レディでお馴染みのFF10-2あたりになると大分昇華されてきて、キャラクター性と役割の分担、ゲームバランスがうまく融合し、まあ3人が妥当だなと思えるようになってくる。まだFF6までのあたりまえに慣れた我々には数の正義みたいなものが捨てきれておらず、なんだ3人かよと思ったことをよく覚えている。後述するが本作では数で押す必要性もなければ、戦略的に戦闘を進める必要性もほとんどないので、改めて遊び直してみれば正直3人で十分。これまでのFFとは、実はこの辺も違うのだ。

操作感

 なんとアナログコントローラー非対応である。

 もうアナログコントローラーの操作感に慣れてしまった現在では、十字キーで3Dポリゴンの世界を縦横無尽に冒険するのは結構しんどい。そう、初代PSはアナログコントローラーではなかった。

 その分コントローラー下部の棒みたいなやつ。なんというか、ほれ、ハの字みたいになってるあれですけど。それが持ちやすかった。キーコンフィグを駆使して片手でプレイできるようにカスタム。お菓子やお酒、タバコを併用しながら楽しんだのを昨日のことのように覚えている。中でもタバコを吸いながらという使い方に大して抜群に相性が良かったのだが、今はタバコを吸っていないので全く関係なかった。

テンポ

 正直に言おう。テンポは悪い。

 特に前半に関してはミニゲームの集合体。俺の異世界探索はいったいいつ始まるのだというくらい、ミニゲームばかりやらされる印象。自分はFFがやりたかったのであって、ミニゲームをやるために買ったのではないとでも言いたくなる。俺の異世界探索はいったいいつ始まるのだ(2回目)。

まさかファミコン版くにおくんの2面みたいなゲームをやらされるとは。当時は驚いたものです

 FF、特にFF3以降の特徴として、テンポの良さも挙げられる。これまでのFFがテンポを良くするためにやってきたこととは何か。戦闘中のメッセージを排除してダメージの数字が飛び出るように。戦闘をターン制からリアルタイムに。果ては武器での攻撃モーションを2回から1回に削るまで。バトル中のメッセージを極限まで削って、その分演出やビジュアル効果に力を入れてきたという印象だ。

 そしてその映像表現が本作より飛躍的に上がった。そのことにより、主に魔法関連の演出が冗長になったことは否めない。特に召喚魔法のテンポの悪さは異常。威力に比例して演出が長くなるので、初見は感動するレベルだが段々使うのが面倒になってくる。あまりに演出が長いので、鬱陶しいザコを一瞬で薙ぎ払う、のような使い方が安易にできない。とはいえ、いざという時の為にボス戦まで温存するかといえば、それはそれで使うのに躊躇する。言うまでもなく演出が長いからだ。

 この時代にはまだ演出カット(スキップ)の機能がないので、逆に操作不能の印が画面に出てきて「えぇ……」となる。黙って見てろ、という男らしさですかね。えぇ……。

ストーリー性・シナリオ

 キャラメイクの秀逸さは言うまでもない。

 スピンオフ作品がいくつも作られ、こうやって20年以上も経って発売されたリメイク版が渇望される。ベースとなるシナリオや世界観、キャラクター性は人々の記憶に残り、求められ続けていたということだ。作品としては大成功の部類ではないだろうか。

 意外性という点では、当時エアリスは生き返ると思っていたし、何ならセフィロスは仲間になると思っていた。そういう点ではしっかり魔王が仲間になるクロノトリガーのシナリオはユーザー寄りに優秀だったな。どうやっても生き返らないエアリスに当時の小学生達は絶望したものだ。挙句、水中呼吸のマテリアという幻想が全国区で広まり定着するほど、広く愛された作品という見かたもできる。口裂け女や人面犬と同じレベルだな、水中呼吸のマテリア。

セフィロスは仲間になるものだと当時は思っていた

 今遊んでも全く違和感を感じない完成されたシナリオ。これが現在の技術で再現され、当時のCGを凌駕するポリゴンモデルと、洗練されたゲームシステムで遊べたなら。

 まあ、売れますよね。リメイク版。分かるわあ。

印象に残った場面

 ギロフェルゴさん、ですかね。

ここが楽しい

 次はどんな仕掛けがあるのか。どんな敵が出てくるのか。そういうゲームとしての純粋な楽しさが、そこにある。そう、ハードの限界を引き出すのがFF。このゲーム機でこんなことが出来るのか。そんな驚きがいつも詰まっていた。

 ただし流石に20数年前のゲームなので、今の肥えた目で見ると色々不自然な部分はある。特にベースがドット絵から3Dになった本作からは、技術の進歩がそのままビジュアル面に反映される。ドット絵の頃はシンボルとしてデフォルメされたキャラだったからまだしも、リアルさに寄せている分、場面によってはなかなかにキツイものがある。

 当時はザコ敵のデザインが箱みたいだと評する論調もあったが、そういうのはまあ置いといて、色違いのキャラみたいなのがほとんど出てこないところとか、もっと評価されてもいいと思うんですよね。

開き直って箱の形をした敵キャラもいる

 ゲームとしてのバランスは、ちょっと頑張れば楽に進められる状態になるので、難しすぎて詰まるという場面が基本的になかった。純粋に楽しい楽しいだけで先に進めるのはゲームとして秀逸な証拠だ。その分ミニゲームが凝りすぎていて難易度が高め。極めようと思うと鬼畜レベルなので、そういった点でもバランスがいい。のか?

ここが不満

 バトルのバランスが良すぎて温い。

 属性を意識した戦闘が重要になってきたのはFF2から。植物にはファイアが効くし、機械にはサンダー。燃えているような容姿ならブリザドだし、ゾンビはレイズで死ぬ。それがFFらしさだと思っている。

 ところが本作は低レベル攻略でもしない限り、普通に進めていれば属性を気にする必要性をあまり感じない。そして一度にエンカウントするザコ敵の数もそう多くないので、沢山のザコを魔法で一気に薙ぎ払うみたいな場面がほとんどない。デフォルトで魔法使い然としたキャラもエアリスくらいなので、魔法使いに特化したキャラメイクをする人もあまりいないのではないだろうか。何でもできる人を作るのが本作の鍵なので、そもそも魔法使い役の需要がないのだ。

 結局てきのわざが優秀になってしまう。おそらくシリーズで一番青魔法(てきのわざ)の使い勝手が良い。マイティガードをかけてゴリ押しのパターンが大体通じるので、同じルーチンになりやすい。なんならマイティガードは封印しても良かったなと今になって思う。

マイティガードは割と序盤の方でラーニングできる

 それから、ラストダンジョンが短い。

 初代から遊んできた世代からすれば、FFといえば冗長なラストダンジョンが名物みたいなもんです。FF7のラストダンジョンはシリーズ屈指の短さだろう。恐らく初代FFのラストダンジョンくらいあっさりしているという印象。その初代ですら4属性のボスが強化復活して階段を守っているという胸熱展開があったものの、そういうのも特になく本当あっさり最深部に到達した。

 ラスボス自体が悪の親玉という位置付けではないので、ボスラッシュみたいなのが全くないのは仕方ないところか。ではラスボスの攻撃が強烈かといえば、あまりそういう印象もない。覚えているのは特徴的なボス曲くらい。これはちょっと寂しいかな。

見どころ(ここは見ておけ)

 当時最高峰であったCGは、さすがに20数年経過した今では見るのが辛い。そもそもそういうのが見たければPS版ではなく素直にリメイク版を遊んだらよろしい。

当時最高峰のCG

 本作で見て欲しいのは、攻略サイトを見ずに進めていたら絶対に手に入れられなかったであろう、せんすいマテリア。ここは我々エアリス生きてて欲しかった勢を黙らせるためにも、あえてそのまま水中呼吸のマテリアというネーミングであってほしかったが。

 このせんすいマテリア。何に使えるのかといえば、海底を徘徊するエメラルドウェポン(インターナショナル版で追加)戦でタイムリミットがなくなる、という効果があります。目的も違ければエアリスも蘇らないこのマテリアですが、まあせんすいマテリアを手に入れた時は、何となくあの当時の思いが救われたような気になったものです。

 肝心のエメラルドウェポンは準備万端にしすぎたせいか、せんすいマテリアを付け忘れたまま倒してしまいましたけど。

じっさい手に入るのは「せんすい」のマテリア

総評

 まごう事なきFFであり、FFとは似て非なるもの、というのが今回改めて思った感想。FFはこの作品から明らかに路線が変わった。

 どこまでがFFか(FFらしさとは何か)論というのは、昔から各個人で線引きが色々あって、例えばシナリオライターが寺田憲史ではなくなったのは4から。キャラデザインが天野喜孝ではなくなったのは7から。世界観が剣と魔法のファンタジーではなく、現代にほど近いレベルの機械文明が混ざりだしたのは6から。何をもってFFらしいとするのかはその人の価値観で大きく異なる。

 個人的には開始直後のザコ敵がゴブリンではなくなった6から、何となくFF感が薄れてきたなと感じています。その違和感が決定的になったのが本作である、という位置付け。

 ではこの作品がFFではないのかといえばそんなことはなく、どこに出しても恥ずかしくない立派なFFでしょう。FFであるが故にハードルが上がっていますが、FFのナンバリングタイトルとして何ら不満はありません。ゲームとしてのバランスは折り紙付きなので、理不尽な難しさを感じる場面は恐らくないと思います。そういうのを求めるならロマンシングサガでもやった方がいいです。

 まあそれでも、今から遊ぶなら素直にリメイク版を遊んだほうがいいと思いますけどね。

おまけ

面倒なチョコボレースに一度も参加せず海チョコボを作ります

このブログ記事はこちらを使用しています。

>>参考:HDMIでゲームをPCに録画しよう


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