六角家と家系ラーメンとの思い出の話
六角家破産。
衝撃的な見出しに思わずリンクをクリックする。
横浜を離れてからもカップ麺など形を変えて目にしていた、ある意味最も有名な家系ラーメンのブランドが破産する。
そんな六角家と家系ラーメンとの思い出を綴ってみます。
家系ラーメンとの出会い
「いえけい」ラーメン。そう読みます。
数ある家系ラーメンの中で、最も口にした六角家の文字が目に留まる。
曰く、破産なのだという。
六角家の破産に見た家系ラーメンの重要な岐路
東洋経済ONLINE
9月4日、ラーメンファンを驚かせるニュースが飛び込んできた。横浜家系ラーメンの老舗「六角家」が、横浜地裁より破産手続き開始決定を受けている、と一部で報じられた
横浜を離れてからはすっかり疎遠になっていたが、そうか。六角家が破産か。
コンビニカップ麺などで見かけていたので、てっきり元気にしているものだとばかり思っていましたが、そんなことになっていようとは。
個人的な話ですが、最初に口にした家系ラーメンは六角家でした。まだ家系なんて言葉は一般的ではなかった時代の話です。
感想としては、食べて一口。「なんじゃこりゃ」でした。
田舎者のラーメン感
それもそのはず、実家付近は佐野ラーメン系列の縄張り。手打ち麺。薄口の醤油味が主流。
幼いころから馴染んできたのはそんな素朴なラーメンにネギ、ナルト、海苔、メンマ、チャーシューというアナクロな一品。改めて書き並べてみると素朴どころか豪華だな。
昭和のトラックムービーにでも出てくるような、オーソドックスなラーメンしか口にしてこなかった。そんな田舎者が初めて食べる、家系ラーメン。
とんこつ。いつかは口にしてみたいと憧れる幻のスープ。それをさらにひとつ通り越して味わう、とんこつ醤油味のスープ。未知との遭遇である。
そしてトッピングは、やたらと硬い海苔に、ほうれん草、チャーシュー。
訳が分からない。
今まで自分が食べてきたラーメンとの共通点は、麺がスープに浸かっていること。その一点のみである。
訳が分からなかった。
こうして家系ラーメンとのファーストコンタクトは、美味いとも不味いともなく。訳が分からないまま終わりを告げた。
並んでまで食べたのだから、きっと旨かったのだろう。そう、自分に言い聞かせて。
当時の六角家のパフォーマンス
そもそも、行列ができるラーメン屋など地元にはない。
時代は丁度、新横浜のラーメン博物館に六角家が出店した頃。当時の六角家のフィーバー振りは、それはそれは大したものだった。現在で言えば、インスパイア含む二郎系の人気に相当するものだと考える。
並んで席に通されるをのひたすら待つ。
そのうち声がかかり、席に着く。や否や、店員からオーダーのカスタマイズについて聞かれる。
麺の硬さは? 味の濃さは? 油の量は? トッピングは?
地元のラーメン屋ではそんなの聞かれたことない。せいぜい大盛りかどうかくらいだ。全く分からない。全部普通で頼む。
数人分のオーダーを聞き終えた店員はカウンターに向け、大声でその内容を告げる。オーダーを取る店員。厨房の料理人。そのどちらもオーダーのメモは取らない。
連れてきてくれた先輩は言った。注文票を書かずにコールするのが売りなのだ、と。
なるほど。などと思うより、むしろルールから外れたら怒られそうな勢いがあって、恐怖心を覚えたことを記憶している。記憶力に自信のない自分には絶対バイトできない店だ。
出来上がったラーメンは、カウンターと厨房との仕切りの上に乗せられる。それを受け取る。食べ終わったら仕切り上に戻す。そしてすぐ店を出る。
都会の飲食店はこんな忙しないのか。そう思ったものです。
ハプニング発生
突如、騒然とする店内。
伏せ丼。
仕切り上のラーメンをカウンターに降ろす際、手が滑ったのだろう。家系の店内は基本的に脂ぎっている。そういうハプニングがあっても不思議ではない。
が、皆止まっていた。当事者の兄ちゃんも。隣席の客も。威勢よくコールしていた店員も。調理場のシェフも。皆固まっていた。創業以来の出来事だったのかもしれない。
刻が止まるって、こういうことを指すのだろう。あの時街は色をなくした。
混雑していたのでそこで店を後にしたのだが、あの後どうしただろうか。
六角屋の名前を聞くと真っ先に思い出す。
その後のラーメンライフ
あれから20余年。各地で色々なラーメンを食べてきた。
みんな大好き某一品。チャーハンはスープへダイブを想定し、薄味に仕上がっている。
魚介出汁系は塩でオーダーすると外しにくい。
最近のブームは燕三条系。太麺細麺が選べるなら、迷わず太麺一択。
北海道ラーメンは味噌でも塩でもバターが合う。味噌ならさらに煮玉子も合うので、必然的に白飯も合う。お得。
もったりとしたスープの和歌山ラーメンは絶望的に白飯が合う。
その他、うまいうまいで有名な某ショップは、広域に存在するチェーン店でありながら店舗ごとに全く味が異なる。そうやって見ると、意外と地元のオーソドックスなラーメンは、全国規模で見れば全くオーソドックスではなかった。
そして、別に家系を思い出すこともなかった。
正直、横浜に住んでいる間は大して食べたいと思わなかった。そこら辺に当たり前にあるラーメン屋の一つでした。多分、ニュータンタンメン本舗の方が来店回数で言えば凌いだだろう。
だがしかし、横浜から離れてしまった今、無性に食べたい。そこら辺に当たり前にあったはずの家系ラーメンの店が、横浜以外の地域ではどこにもないのだ。
絶望的な家系ラーメン分の不足。気付けば第二の故郷である横浜の、家系ラーメンを求めている自分が、ここに居た。
そんな中、ここ数年突如として街中に台頭し始めた「横浜家系ラーメン」の文字。
実際の家系ラーメンの店は、わざわざ自らの事を「家系」などと言わない。ましてや「横浜家系ラーメン」と看板に書いてしまうセンス。明らかに「家系の直系」ではない。
悔しいが自分自身で横浜家系を名乗ってしまうこのセンス。嫌いではない。
入口をくぐる。一品頼む。当然コールなどはない。食券だ。
出来上がりを目の前にする。一口啜る。物足りなさは否めない。だがしかし、確かに家系の味がそこにあった。
家系を食べる機会など、横浜を離れてしまうと、まず得られなかった。そう、ジェネリックでも何でもいい。横浜以外の人間にも家系を啜らせて欲しいのだ。
今なら出来る美味しい食べ方
最近では、当時の忙しない六角家ではできなかった、美味しい食べ方を心掛けている。
そう、あの異様に硬い海苔の美味しい食べ方は、これだったのだ。20数年振りに理解する衝撃の事実。
そして当時の六角家然り、行列ができるラーメン屋の弱点は、のんびりできないこと。
ラーメン屋と言えば、昼間からビール飲んでスポーツ新聞広げているオッサンが居る。そんな昭和の風景も、すっかり見なくなった。
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ
いやいや、無理にならなくていいのだが。スポーツ新聞読まないし。
ただあれはあれで、究極のスローライフだと思うんですよね。ラーメンをのんびりと、美味しく食べられる人。
そういうものに、わたしはなりたい。
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